(社)笠間JC モンゴリアンズ 団長
指導力開発委員長 堀 義己
皆さんは滑走路が「ジャリ道」でも飛行機が飛べることを知っていますか?
私は、身を持ってその事実を恐怖とともに知りました。しかし、私の恐柿におののく顔
が他の参加者の恐怖を和らけたことも事実です。
「砂ぼこりと綿ぼこりの国」というのが私の印象でした。
1997年6月21日 午後7時30分、飛行機から見下ろすまだ明るいモンゴルの
首都ウランバートル、ほとんど木の無い連綿とした山々は本当にきれいな形をし、薄縁
に広がる草原は果てしなく続いていそうで、私のイメージ通りの美しさでした。人の手
の入っていない自然が残り、私たちのいつも目にしている風景とはかなり違う、その自
然は「境大」という青葉そのものでした。しかし何か足りないものがありました。我々
の国のそういう場所には、展望台など観光施設が建てられ、ゴミが捨てられ、「共存」
ではなく「破壊」が当然のように行われています。モンゴルは開発されていないのでは
なく、その自然をいたわるやさしさを持ち、確かに「共存」していました。その「環境」
に触れることができたのは、私にとって有意義な体験だったように思います。
我々を迎えてくれたのはその自然ともうひとつ、白土先生の教え子たちです。到着し
た当日にも、空港に出迎えに来てくれていました。
「堀さんですか?」ときれいな日本語で話しかけられ、振り向くと私たち日本人とほと
んど変わらない顔立ちで日本でも見かけるふつうの服を着た若者たちが立っていました。
交流会当日、我々訪問団の自己招介で始まり、例によってとても上手な日本語の卒業
生・学生の自己招介と続き、懇談食事会を終え、彼女たちの案内による市内の見学に出
掛けました。彼女たちの堪能な日本語と豊富な知識により、安心して市内を歩くことが
できました。普通の観光コースではなく、現地の人の生活を垣間みるようなコースを歩
くことができました。これも普通の旅行では体験できない有意義な散策でした。
しかし交流会でも気になることがありました。我々が用意していった支援物資に彼女た
ちの目はほとんど向けられませんでした。用意した物が的外れであったのか、それとも
物は要らないのか・・・・
その後の話し合い等を踏まえ総合的に判断すると、我々かすべき支援活動とは、物質的 なものからもう一歩踏み込んで、精神的な部分に入っていかなければと考えられます。 彼女たちがあこがれる日本と比べ何が足りないのか、何が違うのかを説き、我々も今置 かれている立場をもう一度確認し、今何をすべきか考え自覚するために違った角度から の活動が必要なのだと感じました。
今回の事業を通して、参加者同士の相互理解を深められたのはもちろんのこと、出発
時の見送り、空港までの送迎等参加者以外のメンバーにも大変お世話になり深く感謝い
たします。そのこ支援・こ協力に対しこの経験を色々な形でLOMに還元していきたい
と考えています。皆様、本当にありがとうこざいました。